★珈琲淹れ方比べ

淹れ比べ

2kasa式(1式/ネル)とサイフォンの二方式で淹れ比べてみました。

 

飲み比べ


ここ数日2kasa式(1式/ネル)とサイフォンの二方式での池比べ飲み比べで大よその淹れ方による違いの差が理解できました。

もしここをこう変えたらorどれほど変えたら両者の結果はどういう違いに成るの?

という頭の中に沸いた疑問を解決するには実際に淹れ比べて飲み比べるしか明確な答えは出ません。

理論でこうすればこうなる。

それで実査の結果が正しく推測されるのなら。

世の中の大企業の大規模な研究施設や予算や人員は必要ありません。

外科実にはかならず理論と現実の結果には差が有り。

その差の原因の究明と調整補正こそか真理の扉を開くカギと成るのです。

扉の前で大声で叫ぼうが叩こうが扉は開きません。

そのカギを手にした者だけがその扉を開きその先にある新たなる道を歩めるのです。

溢れる好奇心と、正確な結果を求める探求心、そしてそれが叶うまで求め続ける熱く強い情熱。

これらが人類を進歩させて来ました。

いよいよ話が大きく成って来ました(爆)

たかが個人的なコーヒーへの拘りを人類の進歩の話と同列に持ち上げて正当化しようとしています(汗)

まあ個人の嗜好なんてそういう利己主義の塊みたいなものですから。

どうか皆様優しく大人の気持ちで大目に見て許して下さいませ(^^ゞ

なお、、、

豆、量、挽目、湯温、湯量、抽出時間、フィルター等々で味わいは無限の広がりますので、今回のレシピでどちらが美味しいか等の判断は出来ませんが。

大よその淹れ方の違いによる味わいの違いと淹れ方による優位性の種類と差は確かめられます。

方式や器具に拘るのは手段・作法に囚われるという事で。

より美味しいコーヒーを淹れるという結果に拘るべき。

本来手段は何でも良いのです。

ただ求める物に対して相対的に実用的に安定的に行える方式と器具が何なのか?

それは実際に自分の手で行って試して改善し繰り返し求め続けなければ得る事は出来ません。

誰かがそう言っていた、昔からそうしてきた。

それは自分以外の誰かの考えです。

鵜呑みにして、聞いただけ読んだだけ見ただけでそう信ずるのも、もっと他に良い方法は無いのか探さないのも個人の自由です。

私は何故そうすべきなのか?それが最善なのか?他にもっと良い方法は無いのか?と疑問と好奇心が湧いて思考の探求とその思考の結果が正しいのか間違っているのか確かめずにはいられない性質なのです(^^ゞ

気にしなければ全くどうでもよいのですが、、、

一度気に成って考え始めるとトコトン考え確かめ改良し細部まで検証しないと気が済まない、、、悪い癖です(爆)